mu-jica

Ads by Google

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

にゃんこ大先生、最後の教え。


息子がモーレツに動くようになってきて、
猫のくりが育児ノイローゼ。
トイレがトイレでできなくなってしまいました。
いつもの場所でくつろぎたくとも、
オーオー言いながら小さな怪人が突進してくるので
オチオチ寝ていられない。
息子はくりが大好きで、さわってみたい!
しっぽ握ってみたい!きになる!きになる!!
一目視界に入ろうものなら嬉々として向かってゆくのです。
くりは、いつものこの季節なら「溶けるよ」っていうくらいストーブの真ん前で
ひっくり返って寝ていたのに、「自分、ここでいいです」と、
寒いとなりの部屋で丸くなっていたりする。
不憫でならない。
どうにか時間が解決してくれるのを見守るつもりだったのだけど、
排泄に支障をきたしだしたので病気になっちゃ大変だし、
(うんこも限界まで我慢してる様子)実家に養子に出すことに。

知ってますか、猫のうんこというのは、あれは毎回一大決心の出来事なんです。
動物にとってうんこの匂いは命取り、一刻も早くその場から離れなければ、
その匂いで自分の存在に気づいた敵に襲われるかもしれないからです。
その名残で家猫でもうんこの前後、モーレツダッシュするでしょう?
それくらい、いつも気合い入ってるんです。

そこに、息子の大きな声が聞こえてくるもんだから、
くりちゃんは怖くて怖くてトイレに入れなくなってしまったのです。

トイレの場所をかえてみたり、数を増やしてみたり、屋根をつけてみたり、
あの手この手を試みるも、やっぱりどうしても怖い、こわいよー。
トイレは離れた場所に置いていて、絶対息子は侵入してこないにもかかわらず。

もうくりの心は決まっていて、ここは恐怖でしかない。
もうすこし堂々としてていいのに。
もう少し気が強い子だったらよかったのに。
いったんかかってしまった「恐怖」のフィルターは、なかなか取り払うことができない。

かなしいことです。

ところで、くりはそのまま今の私だったりする、と感じるフシがあり。

子育に「追われてる」と思ったら、私の生活は追われている。
今しかないこの状況を、「楽しい」と思ったら私はこの日々を楽しんでいる。
核家族の子育は非常に孤独だったりするのです。
悶々としたりもするのです。
その想いが、そのまま私の世界になります。
感じ方、次第。

「どうでもいいようなことで悲しんだり怒ったりしているとき、
彼女らはいつも洗練されたやりかたで、
人生にはもっと重要なことがあることを教えてくれた。」

そのとおりですね、町田先生。


  1. 2009/12/03(木) 23:02:57|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:3

曼珠沙華の頃

曼珠沙華の群れ。
引っ越した先にも曼珠沙華スポットがあって、今年も大好きなその景色をみることができた。
赤子をお腹の中に携え、去年の今頃はつわりのおわりころ。
去年の今日の食べたもの日記によると、
朝 豆乳
昼 さつま芋のみそ汁、さつま芋、みかん
夜 みかん
とある。まだまだつわってますねー。
そういえば、「みかんならおいしく食べられる!」といって
みかんばっかりばくばく食べてたな。

それはさておき、今年の曼珠沙華。
お腹のそとにめでたく出てきた息子と共に、眺める。
もっとも、今の彼は何を見せても、そばによせると握って口の中へ入れてしまう。
彼の今の世界の認識の仕方は、ぜんぶ、口。
曼珠沙華は毒がありそうだから、握らせない。
家の中では、木の実や、だし昆布を握らせてます。
昆布なんかは口に入れたあとしばらくなめて、
「うへ〜なんじゃこりゃ」という顔をして、おもしろいです。
それにしても、ほんとになんでもかんでも無差別に口に入れる。
大人なら絶対に口に入れたくないな、と思うような、
例えば、カーペットの隅っこについてる飾りのふさふさとか、
うっかり目を離すとそこまで転がっていって、ちゅーちゅー吸ってるから驚く。
ほんとうに、不思議な生き物って感じです。
大人より、はるかに動物だから、いろいろ教えてもらっています。



  1. 2009/09/25(金) 21:41:12|
  2. 葉月
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

さようなら

この夏はいったいどうしたのか。
ほんとうに、たくさんのひとが亡くなった。
こんなことは今までなかった。
一方的にこちらが知る人も、もっと近い存在の人も、
そのほとんどが、ああ、あの人は逝ったのだ、
と心安らかに想えるような死ではなく
「えっ」と驚いた後に出てくる言葉が何も無いような、突然の死。

「あなたが生まれるとき、あなたは泣き、世界は喜びに沸く。
あなたが死ぬとき、全世界は泣き、あなたは喜びにあふれる。」
とは、チベット仏教の生死観。
私は人の死に遭遇するとき、このことを思ってみる。
これまでは、なんとなくしっくりきていた。
父の死のときも。

けれど、ほんとうにそうだろうか。

「ただいま」
と言って愛する人の待つ家に帰るつもりで生きていたのに逝ってしまったあの人は、
喜びと共にこの世を去ることができたのだろうか。
喜べない死は、この世への執着なのだろうか。

以前ラジオで、とある映画監督が
「ぼくはいつ死んでも後悔しないように毎日を生きてる」みたいなことを言っていたけど、
私はそれを聞いて「何をかっこつけていやがる」と思った。
我ながら青臭くて恥ずかしいけど、
学生の頃は、
生きてる上でのあらゆる行為、仕事や芸術やすべてがどうでもいいように思えて、
そのどうでもいいことをこれから何十年も続けて行かなければならない人生というものを考えたら、
先が長過ぎてくらくらして、
「人生なんてすべてが暇つぶしだ」なんて思っていたけれど、
今の私はといえば、息子がどんなふうに話をするのか聞いてみたいし、
家族みんなでおいしいものを食べて「おいしいね」と言いたいし、
いい音楽を聴いて踊りたいし、美しいものをまだまだたくさん見たい。
生活も仕事も芸術もすべてが等価だということはかわらないけれど、
すべてがくだらないと同時にすべてがかけがえのないもの、と今は思っていて、
そんな私は、今は自分の死を喜ぶことなんてできない。
愛することは執着なのだろうか。

明日死んでも後悔しない生き方ってどんなだ。
明日があるという保証は実はどこにもないけれど、
明日があるという前提のもと、日々の暮らしは続いていく。
でも、だからこそ、暮らしは美しいものなのかもしれない、
とも思うけれど。

谷川俊太郎の「さようなら」という詩。

「よるになったらほしをみる
ひるはいろんなひととはなしをする
そしてきっといちばんすきなものをみつける
みつけたらたいせつにしてしぬまでいきる」

いろんな人と話を。
生きている私は、亡くなった人たちの思い出もたくさん話そう。
生きてることを、忘れないように。
  1. 2009/09/04(金) 09:53:10|
  2. 文月
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

昨日のは

タイトルと文がなんにも関係なくなってますね。
要は、栄養を分けているので私の身はみるみる細り、
思考はどんどんシンプルになっている、と、
そういうことを言いたかった訳です。

なんだかもう注意力散漫ですな。
  1. 2009/07/27(月) 09:30:20|
  2. 水無月
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

身も心も削ぎおとされて。

一体、梅雨はあけたの、あけてないの、どっちよ。
はっきりしないこの頃、みなさんいかがおすごしですか。
私は低気圧の影響か、乳の調子が激動です。
雨がやむのを待っていましたが、さりとて白日のもと赤子を晒す訳にもいかず、
相変わらずインドアな日々です。

もう4ヶ月がたとうとしており、というか、まだ4ヶ月か、という感もありますが、
もう死ぬほど痛かったのも、生まれたての赤子が泣いて泣いて辛かったことも、
そんなことあったっけねと、つるりんと忘れています。
こうして女は2人も3人も4人も5人も産むことができるんでしょうね。

そうそう、話が前後しますが、臨月間近に引っ越しをしまして、
「目の前シリーズ第3弾」海→山→川にやってきました。
さらにここは公園の目の前でもありまして、一見のどかと思いきや、
実に賑やかです。
まず朝はご老人たち。
もくもくとラジオ体操をしていたり、一人で社交ダンスの練習をしていたり。
その次は小さなこどもとお母さん。
ちびっこのしもべのように甲斐甲斐しく尽くす「じいじ」の姿。
ブランコの乗せ方ひとつとっても親の姿勢は遊び重視あり教育重視ありいろいろで、
私は縁側から興味深く観察しています。

そうしてみんながお昼を食べに帰るのか公園はしばらく静かになり、
今度は下校後の小学生たちの奇声であふれます。
女の子たちは複雑です。
男の子たちは基本バカでとってもいい。
5時を知らせる「夕焼けこやけ」の放送までめいっぱい遊んで、
公園は大人(いや、こどもだな。)の時間に入ります。
ここからがやっかいです。
毎晩繰り広げられる爆竹の音、夜中のサッカー、午前3時過ぎのブランコ・・・。
一度寝てしまったら起きないおおらかな赤子なので助かってますが、
これがちょっとの音で目が覚めてしまう繊細な子だったら、
私はパチンコを持って家の窓からドングリ鉄砲を食らわす。

でもたまに、声もせずブランコのキイ、キイ、という音だけが聞こえてきます。
そんな時は、独りでビール片手にブランコに乗って空でも眺めてる
サラリーマンもしくはOLの姿を想像して、きゅん、ときたりしています。
いや、妖怪かもしれないけどね。

そんな感じで人々が入れ替わり立ち替わり訪れる公園の音を聞きながら、
息子はおっぱいのんであそんでねんね、の繰り返し。
いつかはあの音の中に混ざっていく日のために、もくもくと成長中です。
どんな人と話し、どんなことを話すのかな。


  1. 2009/07/26(日) 15:05:08|
  2. 水無月
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
次のページ