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mu-jica

終わらない夏はない。

残暑お見舞い申し上げます。

いつの頃までかは、夏、好きだった気がするんだけれど、
ここ最近は、じっと過ぎるのを耐えて待つ、という心境。
老い?
いいえ、変わったのは私じゃないわ、あなたの方よ、夏。
来年、再来年と、このまま、どんどんいくつもり?
私、もう、あなたが怖いわ。

しかし、明けない夜はない。
確実に、秋のキリリと澄んだ空気が混ざりはじめてはいますね。
夜には秋の虫もないています。

息子と過ごす二度目の夏、母はママチャリを手に入れて、
川へ、図書館へ(クーラーのある場所)、奔走しています。
英才教育のかいあって、息子はすっかり電車好きになったので、
線路の下の川で遊びながら眺める電車と踏切、というのがこの夏のハイライト。

さて、このたび、高尾の駅前にひとつの場所がうまれまして、
ありがたいご縁があって、そこでごはんをつくらせて頂いてます。
なにぶん子連れなので、いつもじゃなくて、不定期に。
こちらのブログはすっかり私的なものになってるので、
引っ越す事にしました。
こちらをぜひみてみてください。(点取り占いもアルヨ。)
そして、遠いけれど、ぜひあそびにきてね。
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  1. 2010/08/28(土) 22:44:56|
  2. 引っ越しのおしらせ
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あれから一年、お日柄もよく。

はやいもので一年たちました。
また今年も変わらず、桜が咲きましたね。
そんな季節に息子はやってきました。
これから毎年お誕生会を口実に、大人はおおいに飲めるってわけ。
そんな訳で、第一回おたんじょうおめでとう大お花見会開催!

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みんなが一斉におめでとうの歌をうたいだしておびえています。
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かあちゃんがかわりに。


一歳になったので飲酒もできます。
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いやあ、ほんとにはやいね。一年。
すっかりインドアで、隣町にすらめったに行かなかったこの一年、
みなさまはどうされているのでしょう。
会いたい人、たくさんいます。
まだまだなかなかでられませんが、地味にこつこつやってます。
またねー。
  1. 2010/04/07(水) 21:56:59|
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にゃんこ大先生、最後の教え。


息子がモーレツに動くようになってきて、
猫のくりが育児ノイローゼ。
トイレがトイレでできなくなってしまいました。
いつもの場所でくつろぎたくとも、
オーオー言いながら小さな怪人が突進してくるので
オチオチ寝ていられない。
息子はくりが大好きで、さわってみたい!
しっぽ握ってみたい!きになる!きになる!!
一目視界に入ろうものなら嬉々として向かってゆくのです。
くりは、いつものこの季節なら「溶けるよ」っていうくらいストーブの真ん前で
ひっくり返って寝ていたのに、「自分、ここでいいです」と、
寒いとなりの部屋で丸くなっていたりする。
不憫でならない。
どうにか時間が解決してくれるのを見守るつもりだったのだけど、
排泄に支障をきたしだしたので病気になっちゃ大変だし、
(うんこも限界まで我慢してる様子)実家に養子に出すことに。

知ってますか、猫のうんこというのは、あれは毎回一大決心の出来事なんです。
動物にとってうんこの匂いは命取り、一刻も早くその場から離れなければ、
その匂いで自分の存在に気づいた敵に襲われるかもしれないからです。
その名残で家猫でもうんこの前後、モーレツダッシュするでしょう?
それくらい、いつも気合い入ってるんです。

そこに、息子の大きな声が聞こえてくるもんだから、
くりちゃんは怖くて怖くてトイレに入れなくなってしまったのです。

トイレの場所をかえてみたり、数を増やしてみたり、屋根をつけてみたり、
あの手この手を試みるも、やっぱりどうしても怖い、こわいよー。
トイレは離れた場所に置いていて、絶対息子は侵入してこないにもかかわらず。

もうくりの心は決まっていて、ここは恐怖でしかない。
もうすこし堂々としてていいのに。
もう少し気が強い子だったらよかったのに。
いったんかかってしまった「恐怖」のフィルターは、なかなか取り払うことができない。

かなしいことです。

ところで、くりはそのまま今の私だったりする、と感じるフシがあり。

子育に「追われてる」と思ったら、私の生活は追われている。
今しかないこの状況を、「楽しい」と思ったら私はこの日々を楽しんでいる。
核家族の子育は非常に孤独だったりするのです。
悶々としたりもするのです。
その想いが、そのまま私の世界になります。
感じ方、次第。

「どうでもいいようなことで悲しんだり怒ったりしているとき、
彼女らはいつも洗練されたやりかたで、
人生にはもっと重要なことがあることを教えてくれた。」

そのとおりですね、町田先生。


  1. 2009/12/03(木) 23:02:57|
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曼珠沙華の頃

曼珠沙華の群れ。
引っ越した先にも曼珠沙華スポットがあって、今年も大好きなその景色をみることができた。
赤子をお腹の中に携え、去年の今頃はつわりのおわりころ。
去年の今日の食べたもの日記によると、
朝 豆乳
昼 さつま芋のみそ汁、さつま芋、みかん
夜 みかん
とある。まだまだつわってますねー。
そういえば、「みかんならおいしく食べられる!」といって
みかんばっかりばくばく食べてたな。

それはさておき、今年の曼珠沙華。
お腹のそとにめでたく出てきた息子と共に、眺める。
もっとも、今の彼は何を見せても、そばによせると握って口の中へ入れてしまう。
彼の今の世界の認識の仕方は、ぜんぶ、口。
曼珠沙華は毒がありそうだから、握らせない。
家の中では、木の実や、だし昆布を握らせてます。
昆布なんかは口に入れたあとしばらくなめて、
「うへ~なんじゃこりゃ」という顔をして、おもしろいです。
それにしても、ほんとになんでもかんでも無差別に口に入れる。
大人なら絶対に口に入れたくないな、と思うような、
例えば、カーペットの隅っこについてる飾りのふさふさとか、
うっかり目を離すとそこまで転がっていって、ちゅーちゅー吸ってるから驚く。
ほんとうに、不思議な生き物って感じです。
大人より、はるかに動物だから、いろいろ教えてもらっています。



  1. 2009/09/25(金) 21:41:12|
  2. 葉月
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さようなら

この夏はいったいどうしたのか。
ほんとうに、たくさんのひとが亡くなった。
こんなことは今までなかった。
一方的にこちらが知る人も、もっと近い存在の人も、
そのほとんどが、ああ、あの人は逝ったのだ、
と心安らかに想えるような死ではなく
「えっ」と驚いた後に出てくる言葉が何も無いような、突然の死。

「あなたが生まれるとき、あなたは泣き、世界は喜びに沸く。
あなたが死ぬとき、全世界は泣き、あなたは喜びにあふれる。」
とは、チベット仏教の生死観。
私は人の死に遭遇するとき、このことを思ってみる。
これまでは、なんとなくしっくりきていた。
父の死のときも。

けれど、ほんとうにそうだろうか。

「ただいま」
と言って愛する人の待つ家に帰るつもりで生きていたのに逝ってしまったあの人は、
喜びと共にこの世を去ることができたのだろうか。
喜べない死は、この世への執着なのだろうか。

以前ラジオで、とある映画監督が
「ぼくはいつ死んでも後悔しないように毎日を生きてる」みたいなことを言っていたけど、
私はそれを聞いて「何をかっこつけていやがる」と思った。
我ながら青臭くて恥ずかしいけど、
学生の頃は、
生きてる上でのあらゆる行為、仕事や芸術やすべてがどうでもいいように思えて、
そのどうでもいいことをこれから何十年も続けて行かなければならない人生というものを考えたら、
先が長過ぎてくらくらして、
「人生なんてすべてが暇つぶしだ」なんて思っていたけれど、
今の私はといえば、息子がどんなふうに話をするのか聞いてみたいし、
家族みんなでおいしいものを食べて「おいしいね」と言いたいし、
いい音楽を聴いて踊りたいし、美しいものをまだまだたくさん見たい。
生活も仕事も芸術もすべてが等価だということはかわらないけれど、
すべてがくだらないと同時にすべてがかけがえのないもの、と今は思っていて、
そんな私は、今は自分の死を喜ぶことなんてできない。
愛することは執着なのだろうか。

明日死んでも後悔しない生き方ってどんなだ。
明日があるという保証は実はどこにもないけれど、
明日があるという前提のもと、日々の暮らしは続いていく。
でも、だからこそ、暮らしは美しいものなのかもしれない、
とも思うけれど。

谷川俊太郎の「さようなら」という詩。

「よるになったらほしをみる
ひるはいろんなひととはなしをする
そしてきっといちばんすきなものをみつける
みつけたらたいせつにしてしぬまでいきる」

いろんな人と話を。
生きている私は、亡くなった人たちの思い出もたくさん話そう。
生きてることを、忘れないように。
  1. 2009/09/04(金) 09:53:10|
  2. 文月
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